【転機 話しましょう】
声優・歌手、水樹奈々さん 「真摯に愚直に二兎を追う」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments ... 000-n1.htm引言回覆:
声優で歌手の水樹奈々さん(31)は、声優出身者として初めて音楽チャートの1位に輝くなど、めざましい活躍を続けています。幾度の苦難を乗り越え、つかんだ夢。あえて“二兎を追った”ことが、自身を成功に導く大きな力となりました。(小野田雄一)
■5歳から歌い始め
亡き父の姿を思い出すと、どうしてもその光景がよみがえってくる。歯科技工士だった父、信光さんのもとで、歌の練習をする自分の幼い姿。父は自らも演歌歌手を目指した時期があった。果たせなかった思いを娘に託したのだ。
最初の手ほどきを受けたのは5歳の時。以来、生活は歌を中心に回り始めた。必然、子供の楽しみは“お預け”の状態に。家でテレビを見ることはもちろん、放課後に友達と遊ぶことさえ禁じられたという。歯科用ドリルの音が伝わってくる自宅脇の作業場で、騒音に負けない声量をひたすら磨いた。それが今の歌唱力を支える根っこになった。
結果からいえば、父の願いは見事にかなう。15歳でカラオケの全国大会を制し、芸能事務所にスカウトされ、四国から上京。20歳には、歌手デビューを果たし…。その略歴をざっと眺めた上では、人生に目立った逆風は吹かなかったようにみえる。しかし-。
「壁に突き当たって『私なんて』と思ったこともあるし、周囲の輝いている人を見てうらやましく思ったこともあった」という。
■所属事務所が倒産
試練は、上京後から始まった。平成7年、多くの芸能人が通う堀越高校(中野区)に入学し、デビューの時を待ったが、なかなかその機会が訪れない。
学校では、KinKiKidsの堂本剛さん(32)や女優のともさかりえさん(31)ら同級生の活躍を尻目に仕事のない日々を過ごし、仕送りは月3万円のみ。家庭の経済事情を考えるとそれ以上は望めず、勉強に励んで奨学金の貸与を受けた。
決定的なピンチに立たされたのは2年生のとき。スカウトしてくれた事務所が倒産してしまったのだ。このままでは、自分の居場所がなくなってしまう-。
救ってくれたのはボイストレーナーの先生だった。新たな所属先を探そうと途方に暮れていたとき、「私のためにわざわざ事務所を作ってくれた」という。
それからは、運命が徐々じょじょに好転し始める。卒業間際には、歌手と同じように憧れていた声優でデビュー。そして、インターネットのラジオ番組をきっかけに開催した20歳記念コンサートで、音楽プロデューサーの目にとまり、歌手の道にも踏み出せた。
ただ、心が折れかけたことは何度もあった。高校2年から本格的に勉強を始めた声優については、周囲から「二兎を追うな」「声優で名前を売って歌手への踏み台にしようとしているのでは」との痛烈な批判も。声優時代に、NHK紅白歌合戦への出場の夢を語り、「声優には無理」と一蹴されたことも一度や二度ではなかった。
しかし、真摯(しんし)に愚直に、夢を追うことはあきらめなかった。「誰に何と言われようと声優も歌も好き。中途半端に2つのものを追うのではなく、まっすぐ真剣に向き合えば、必ずそれは伝わるはずだ」
次第に歌のファンが増え、それはやがて楽曲の売り上げにも表れた。オリコンなど主要音楽チャートで声優出身者の歴代記録を次々に更新。公演会場も大きくなり、横浜アリーナ、西武ドーム…といった大会場で、数万人規模のファンを集めるまでに。声優としては初めての快挙だった。
■憧れの紅白に
20代最後の年、その晴れ舞台はめぐってきた。平成21年の大みそか、東京都渋谷区のNHKホール。待ち望んだ紅白歌合戦は、想像以上の華やかさだった。初出場とは思えない堂々とした姿で、3千人近い大観衆に向かって歌ったのが「深愛(しんあい)」だ。肉親や友人ら身近な人への感謝の気持ちを込めた内容の歌詞に、前年75歳で亡くなった最愛の父の姿が重なった。自然と、勇気がわいてきた。
「周囲の目を気にしすぎたり、他人をうらやんだりしているときは、不思議とうまくいかないもの。あれこれ考える暇があるなら自分を磨き、前に進もうと考えるようになった」
昨年暮れにも紅白のステージに立つことができた。「二兎を追う」生き方は楽ではない。しかし、それをやめなかったことが、大きな夢につながった。
そして、今はこう確信している。「前例のないことに挑戦すると、最初はびっくりされたり、否定的なことを言われたりする。でも、前例がないなら私がその前例になればいい」と。
--今年、初の自叙伝「深愛」(幻冬舎)を出版されました
「最初は私のような若輩が自叙伝なんて、と思いました。しかし歌手デビュー10年を迎え、歩んできた道と未来について考える機会が増えて。(子供のときのいじめや駆け出し時代のセクハラなど)辛い思い出を書くにはパワーが必要でしたが、すべての出会いや出来事が今の私を作っているということを知っていただきたくて」
--娘が演歌歌手になることを夢見た父親は平成20年に亡くなりました。演歌への思いは?
「歌を大好きになったきっかけが演歌。父への親孝行でもあり、いつかは歌いたいですが、今ではないと思っています。演歌は人生の歌。ものすごい表現力が必要で、31歳の私ではまだ表現できません」
--今後の目標は?
「憧れの美空ひばりさんが行われた東京ドームでのライブ。そして47都道府県でのライブです」
〈みずき・なな〉昭和55年、愛媛県生まれ。堀越高校卒。平成9年、ゲームソフト「NO●L~Laneige~」で声優に。12年には歌手デビューを果たした。21年にアルバム「ULTIMATEDIAMOND」、22年にはシングル「PHANTOM MINDS」が、声優出身者では初のオリコンチャート1位を獲得。21年に声優出身者で初めてNHK紅白歌合戦に出場した。圧倒的な歌唱力で、幅広い層に支持を広げている。
★注★ 記事中の●は、NOeLの“e”の上に、横に並んだ点々「‥」(仏語のアクセント記号“ウムラント”付きのeです
> 「周囲の目を気にしすぎたり、他人をうらやんだりしているときは、不思議とうまくいかないもの。あれこれ考える暇があるなら自分を磨き、前に進もうと考えるようになった」
> 今はこう確信している。「前例のないことに挑戦すると、最初はびっくりされたり、否定的なことを言われたりする。でも、前例がないなら私がその前例になればいい」と。
